概要・スケジュール
時間 | 内容 |
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13:00 | 各軕蔵を出発(綾野地内を巡行) |
15:00 | 綾野白鬚神社手前、新幹線下に集合 |
15:30 | 綾野白鬚神社に奉芸 奉芸後置き軕 |
時間 | 内容 |
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19:00 | 提灯点灯 |
19:30 | 奉芸 |
21:00 | 曳きわかれ |
※天候によって巡行時間、宵軕祭の時間が変更となります。
※雨天の場合は、軕の巡行が中止となります。
綾野まつりとは
大垣市の綾野には、江戸時代末期より伝わる5両の曳軕があり、豊作に感謝し綾野白鬚神社の祭礼に奉納される。
明治29年の大水害までは、9月26日に行われていたが明治30年からは10月12日に行われるようになった。
平成11年からは、暫定的に10月第2日曜日に行っていたが、氏子の強い要望により、平成18年度から10月第2土曜日に行われることになった。
近年では各町内に軕蔵ができ、祭礼当日の早朝から飾りつけを行い、午後1時頃から町内ごとに曳軕巡行している。
午後3時に白鬚神社東の道路から新幹線南側に集合し、午後3時30分頃から神楽軕を先頭に猩々軕、小獅子軕、鯰軕、獅子軕の順で神社へ向かう。神楽軕以外の軕の順番は毎年交替している。白鬚神社に到着した軕から奉芸を行い、宵軕祭の準備に入る。
午後7時に提灯を点灯し、午後7時30分頃には、神楽軕から順に奉芸が始まり、祭りは最高潮に達する。奉芸の終わった軕から神社を後にし、夜道を提灯の灯りで連なって各軕蔵に向かう。
やま紹介
神楽(かぐら)軕 [東瀬古]
軕の帳面箱に「文政七申歳 東瀬古惣連中」とあり、文政7年(1824年)にはすでに軕が造られていたとされています。
神楽軕は「一軕」とも呼ばれ、常に行列の先頭を行きます。
このからくりは、人が直接棒で操り、横笛・太鼓・小太鼓・鉦鼓に合わせて、青装束の巫女と白装束の山伏が舞います。
獅子(しし)軕 [八幡瀬古]
軕を納める箱に「宝暦七丁丑四月吉日 傅馬町」とあり、宝暦7年(1757年)に大垣市伝馬町で建造又は改造されていたとされています。
獅子軕の芸は、元は獅子に「どっけ」と称する道化が戯れる様子を面白く演じたり、鳥さしの歌という数え歌に合わせて、子供が舞っていました。現在は12歳から15歳の子供による獅子舞と6歳から10歳までの子供による舞踊が行われています。
小獅子(こじし)軕 [竪丁瀬古]
屋根の袖板に「嘉永六年八月四日 大工喜重郎 濃州不破郡綾野村竪町」とあり、嘉永6年(1853年)には軕が存在していたとされています。
小獅子軕の芸は、19本の紐を使って操作され、若者から変じた小獅子が自分の体毛についた虫から身を守るため、牡丹の花から滴り落ちる露にあたろうと、多彩な動きを見せています。
猩々(しょうじょう)軕 [大門瀬古]
軕上後方の勾欄下に「干時文政五壬午年七月下旬 岩井保信」とあり、文政5年(1822年)にはすでに軕が造られていたとされています。
猩々軕は、糸からくり軕で、猩々人形とその前に竹製の酒樽が置かれ、猩々が酒を飲むと顔の仕掛けが回り、朱色の顔の猩々が現れます。
猩々人形・幣振り人形は七代目玉屋庄兵衛の作です。
鯰(なまず)軕 [横丁瀬古]
水引の裏地に「宝暦九己卯八月五日 綾野村横丁」とあり、宝暦9年(1759年)には軕が存在していたとされています。
鯰軕の芸は、軕の前に突き出した板の上で、赤頭巾をかぶり瓢箪を持った老人が、大鯰を押さえようとするところをおもしろおかしく見せています。
見送り幕は、守屋多々志画伯の作品です。