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祝 ユネスコ世界の記憶登録 朝鮮通信使に関する記録

祝 ユネスコ世界の記憶登録 朝鮮通信使に関する記録
ユネスコ世界の記憶
「朝鮮通信使に関する記録 ― 17世紀~19世紀の日韓の平和構築と文化交流の歴史」
●朝鮮通信使とは?
朝鮮通信使は、「鎖国」の時代といわれた江戸時代、日本を正式訪問していた外交使節団です。「通信」とは信義を通わすことであり、朝鮮国王から徳川将軍への国書を届け、返書を受け取るのが一番の使命でした。その行列は、正使と副使を中心に、文官、武官、さらには文化人や医師、楽隊をも伴い、総勢は約500人。これに警護を務めた各藩の人員を含めると、全体は数千人に及んだといいます。
1607(慶長12)年から1811(文化8)年まで、計12回来日していますが、内10回は瀬戸内海を舟で渡り、京都から中山道(一部朝鮮人街道)・美濃路・東海道を通って江戸に向かっています。美濃路の宿駅があった大垣は毎回の宿泊地となり、地元文化人との交流もありました。沿道の見物人に与えた印象も強く、十六町の豊年踊にその名残がみられます。
朝鮮通信使に関する記録は、1607年~1811年までの間に、江戸幕府の招講により朝鮮国から日本国へ派遣された外交使節団に関する資料で、両国の歴史的経験に裏付けられた平和的・知的遺産であり、恒久的な平和共存関係と異文化尊重を志向する人類共通の課題を解決するものとして平成29年ユネスコ世界の記憶に登録されました。

朝鮮通信使のルート
リーフレット表
リーフレット表
リーフレット裏
リーフレット裏


大垣藩と通信使
使節を迎える各地では、接待にたいへん気を配りましたが、大垣藩も随分苦労したようです。大人数のための宿所や街道の整備、食料・道具・人馬の用意にはじまり、出迎えや見送り、到着時の挨拶など、経費も労力も莫大でした。群集する見物人にも配慮しなければならず、見物の場での作法や、集まる時刻についての注意も出されています。使節が泊まる全昌寺への出入りには、あらかじめ役所から渡された札を提示することが定められていましたが、使節見たさにそんな規制をかいくぐって入り込む人も多かったことが、当時の記録にしるされています。

竹島町の朝鮮山車
エキゾチックな一大パレードが、どれほど大きな印象を当時の日本人に与えたかは、容易に想像できるでしょう。その姿は、大垣では二つのまつりに取り込まれました。一つは竹島町の朝鮮山車です。「清道」の旗を先頭に、笛・太鼓・羯鼓・胡弓などの楽隊と、山車上に乗った「大将官」の人形。その脇には小姓がひかえ、「朝鮮王 竹嶋町」の旗がつづきました。八幡宮の祭礼にひきだされた各町の軕の中でも、ひときわ目をひいたといいます。明治初期に、現在の「榊軕」にかえられましたが、朝鮮山車の豪華な刺繡をほどこした衣装や楽器、「大将官」の人形や旗は、岐阜県重要有形民俗文化財として今も残されています。

装束
装束
朝鮮王の旗
朝鮮王の旗
大将官人形の頭
大将官人形の頭


拾六村の豊年踊
また拾六村(現・大垣市十六町)には、豊年の秋に、紀州徳川家と通信使を模倣した大行列がくりだされました。「豊年踊」といわれたこの行列は、百数十名にもおよぶもので、伝えられた衣装をみると、ススキの穂や切り紙などで巧みに日常着をかざり、異国情緒をかもしだしています。町の財力をつくした竹島町の山車に対して、この拾六村の行列は生活感覚をいかした村の祭礼といえるでしょう。

豊年踊り
豊年踊り
豊年踊り


イベント開催履歴

平成29年11月18日(土)

芭蕉元禄大垣楽市・楽座まるごとバザール(平成29年11月18日)のオープニングセレモニーにて、「朝鮮通信使に関する記憶-17世紀~19世紀の日韓の平和構築と文化交流の歴史」のユネスコ世界の記憶登録を記念した鏡割りを行いました。
また、大垣の木枡を使用して、総勢200名による乾杯を行いました。

イベント写真 イベント写真

平成27年11月14日(土)・15日(日)