【歴史・文化・芸術】 【赤坂地域】
平治の乱に敗れた源氏の大将義朝ら8人は、平治元年(1159)12月27日に京都から逃れ、美濃源氏の拠点である青墓宿にたどりついた。 次男朝長は、比叡山の僧兵に襲われたときの足傷がもとで、16歳の若い命をこの地で閉じ、ここに葬られた。 後に鎌倉幕府を開いた三男頼朝は、建久3年(1192)にこの地を訪れている。
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