【歴史・文化・芸術】 【大垣市内中心地】
関ケ原の戦いで、少女おあんは父山田去暦らと石田三成に属し、大垣城に篭城していた。落城不安がつのるある日、東軍から矢文が届き「去暦は家康様御手習師匠であったので、逃す」と伝えた。おあんは父母らと塀の近くの松から堀へ下り、たらい舟に乗り逃れた。そののち、その松を誰言うともなく「おあんの松」と愛称した。
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