
4月より放送が開始されたNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。 ヒロインのモチーフとなったのは、人気生活雑誌「暮しの手帖」の創刊者である大橋鎭子さんです。 そして、ドラマにも登場する彼女の父親(とと)は、岐阜県大垣市上石津町時地区の出身。 東西を養老山地と鈴鹿山脈の山々に囲まれた、自然豊かな地域です。 |
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![]() 武雄さんたち3兄弟の写真 |
![]() 武雄さんの兄・隆治さんの家 (昭和29年当時の様子) |
ドラマに登場する「とと」こと小橋竹蔵は、大橋武雄さんが元になっています。 明治25年、いまの大垣市上石津町時地区に三人兄弟の次男として生まれました。 時尋常小学校在学中の10歳までをこの時地区で過ごした後、東京の大橋家へ養子へ。30歳を過ぎたころ病による静養のために時へ戻って生活を送りました。 その子、「とと姉ちゃん」のヒロインのモデルになった大橋鎭子さんは当時、静養中の父の見舞いのため母や妹らと共に時を訪れたことも。 そのときの様子は、鎭子さんの著書「『暮しの手帖』とわたし/(暮しの手帖社)」にも記されています。 残念ながら、ドラマではすでに病で帰らぬ人となった「とと」。 視聴者の間では早くも「ととロス」という言葉が飛び交うほどに、人気の高い人物でした。 |

「とと姉ちゃん」のモデル・大橋鎭子さんは快活でたくましい性格の女性で、「鎭子ねえちゃん」と呼んで慕われていたと言います。
「鎭子さんは父を早くに亡くして苦労をしてきたからか、面倒見がよく、いろいろな人の世話をするのが好きな人でした。周囲の人の世話をせずにはいられない人でした。」と関係者談。
「とと姉ちゃん」の素顔は、戦後という厳しい時代を生きながらも快活で凛々しく、そして優しい女性でした。
「鎭子さんは父を早くに亡くして苦労をしてきたからか、面倒見がよく、いろいろな人の世話をするのが好きな人でした。周囲の人の世話をせずにはいられない人でした。」と関係者談。
「とと姉ちゃん」の素顔は、戦後という厳しい時代を生きながらも快活で凛々しく、そして優しい女性でした。

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知恵と工夫を集めた「暮しの手帖」は、「女の人を幸せにする雑誌を作りたい」という大橋鎭子さんの思いから創刊され、現在まで続く人気の生活雑誌です。 昭和29年、この「暮しの手帖」の23号で「山村の水車小屋で ―ある未亡人の暮し―」と題して、「とと」のふるさとである時村と、「とと」の兄 隆治さんの妻、志津ゑさん一家の暮らしぶりが特集されました。 |
特集には、笑顔で畑に立つ志津ゑさんや時村の美しい自然、往還の様子、子供たちの生活ぶりなどの写真も掲載されました。 | ![]() 時村の往還の様子 (昭和29年当時) |

![]() 冠橋からの景色(夏) |
大垣市上石津町を縦断するように走る国道365号を反れ、時地区へ。 喧噪はすぐに消え、それまで聴こえなかった心地よい風の音が耳をくすぐります。 牧田川に架かる冠橋から見る風景は、まさに日本の原風景。 目の前には”美濃の富士山”と呼ばれる烏帽子岳がそびえ、周囲には美しい田園風景が広がります。 春には「百間桜並木」が牧田川沿いを彩り、冬には雪の烏帽子岳。 地元出身の大作曲家、江口夜詩の名曲「心のふるさと」は、この地に原点があると言われています。 |
「大地、自然、太陽、雲、草、全ての自然が生きているという事実を、自分の肌でありありと感じられる。ここの自然は本当に素晴らしい。」「折々で表情を変える田園や自然を見るのが好きで、成長していく稲の美しさを毎日見守っている。春と秋だけではなく、夏も冬も変化が本当に美しい。毎日毎日、この自然を感じながら生活できることが、嬉しくて仕方がない。」 時地区で暮らす皆さんは口をそろえて言います。 「とと」を生み育んだふるさとは、豊かな自然に囲まれた美しい「日本の心の故郷」でもあるのです。 |
![]() 冠橋からの景色(冬) |
![]() 百間桜並木と烏帽子岳 |
![]() カミツレ畑と烏帽子岳 |
![]() 秋の田園と烏帽子岳 |
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[自動車でのアクセス] 関ヶ原ICから国道365号線を上石津方面へ南進(約15分) |
[東名阪自動車道ご利用の場合] 桑名ICから国道421号線を北上し、国道365号線の交差点を右折し、そのまま道なりに北上(約1時間10分) |