何があるの?

松尾芭蕉と大垣。

それは「奥の細道」の旅において”むすびの地“となったとても大切な関係です。
蛤のふたみに別れ行く秋そ、と詠んで水門川の船町港を後にして舟で桑名へと向かったのです。旅人・芭蕉は、大垣の俳友・谷木因、大垣藩士で俳人の近藤如行らと旧交を温めただけでなく、この地に俳句文化隆盛の源流をもたらした存在として、大垣の人々の心にいつまでも刻まれ続けています。


蛤塚
奥の細道むすびの地記念館

旅人の想いが刻まれる。

投句箱



松尾芭蕉親交のまち大垣
松尾芭蕉は、元禄2年(1689)の秋、奥の細道の旅をこの大垣で終えています。蛤のふたみに別れ行く秋そ、と詠んで、水門川の船町港から桑名に向けて旅立ちました。

大垣を俳句のふるさとにした松尾芭蕉
ちょうど芭蕉が訪れた頃に建てられた、船町港の住吉燈台をシンボルとして、その周辺には芭蕉ゆかりの地として「蛤塚」「松尾芭蕉送別連句塚」「芭蕉像」などがあり、芭蕉を偲ぶ標となっています。




●水の都は浪漫の旅路 Back Next ●文教のまち大垣を歩く