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中山道 赤坂宿 ウォーキング・ポタリング

 
中山道 赤坂宿 ウォーキング・ポタリング


のんびりと散策し、今まで気づかなかった中山道赤坂宿周辺の魅力を再発見してみましょう♪


美濃赤坂駅

マップ1美濃赤坂駅

JR東海・JR貨物の東海道本線支線(通称:美濃赤坂支線)と、西濃鉄道の市橋線(貨物線)が乗り入れる。付近の金生山が石灰石を産出するため、当駅は石灰石輸送の中継地点となっており、1日2 - 3往復の貨物列車が発着する。今では貴重な木造で作られている。

増田家住宅(お嫁入り普請探訪館)

マップ2増田家住宅(お嫁入り普請探訪館)

江戸時代末期の文久元年(1861年)、皇女和宮が降嫁した際、大行列一行が宿泊しましたが、赤坂宿ではそのために中山道の街道沿いにあった古家の建替えや空き地に新築を行い、54軒もの家が建て直されました。街道からの見栄えをよくするために表側だけが二階建てという珍しい家です。これが世に聞く「お嫁入り普請」です。現在は、地域のまちづくりの団体の方が時期を決めて一般開放されています。

兜塚

マップ3兜塚

関ケ原合戦の前日、杭瀬川の戦いで戦死した東軍武将、野一色頼母を葬り、兜鎧を埋めた塚といわれています。

旧早野邸セミナーハウス

マップ4旧早野邸セミナーハウス

明治20年の建築(切妻造母屋)

昼飯大塚古墳

マップ5昼飯大塚古墳

昼飯大塚古墳は、全長約150mにもおよぶ岐阜県最大の前方後円墳で、今から約1600年前に築かれました。古墳は平成12年に国の史跡に指定され、発掘調査で明らかとなった葺石や埴輪列そして周濠を築造当時のまま復元したゾーンを設けた歴史公園となっています。

お茶屋屋敷跡

マップ6お茶屋屋敷跡

慶長9年(1604)頃、徳川家康が中山道沿いに造営した将軍専用の休泊所跡で、創建当時の城郭様式を偲ぶ土塁や空壕の一部が残っています。現在は個人の所有として、数多くのボタンが植えられ、東海有数のボタン園として、一般開放されています。

旧清水家住宅

マップ7旧清水家住宅

旧清水家住宅は、赤坂宿のほぼ中央に位置する古い商家の建物です。
享保15年(1730)もしくは安永4年(1775)建造と伝えられる主屋は、軒高の低い切妻造り2階建ての建物です。坪庭北側には、明治13年(1880)建造の墨書が残る土蔵があります。
赤坂宿内に現存する建造物の中で最古級の町屋遺構であり、様式や技法の観点から文化財的な価値が高いものです。
旧清水家住宅は、歴史的建造物として保存・公開するとともに、住民などによるまちづくり活動の拠点施設としても利用されています。

赤坂港会館

マップ8赤坂港会館

杭瀬川の水運や華厳寺への巡礼街道の起点として栄えた中山道の宿場町・赤坂。赤坂港跡の常夜燈や、皇女和宮の「お嫁入り普請」の一部が、今も古い町並みとなって残されています。

赤坂本陣公園

マップ9赤坂本陣公園

入口に、皇女和宮が赤坂本陣に宿泊したことを記念した、和宮の碑が置かれています。また、本陣公園内には、美濃赤坂宿出身の所郁太郎の像があります。所郁太郎は、井上馨(外務大臣)が襲撃を受けて、瀕死の重傷を負ったとき、畳針で傷口を縫い、一命を助けた人物として知られています。

金生山化石館

マップ10金生山化石館

金生山は、2億5千万年前(古生代ペルム紀)、赤道直下のサンゴ礁に生息した、フズリナ、サンゴ、ウミユリ、巻貝、二枚貝などの化石が豊富に産出するところで、「日本の古生物学発祥の地」「古生物のメッカ」として知られています。中でもシマカイアという二枚貝やウミユリは、世界一の大きさを誇っています。金生山化石館では、金生山産の化石や鉱物を約700点を展示するとともに、わくわく体験活動や講座などを実施して、金生山の化石や地質を紹介しています。

照手姫の水汲み井戸

マップ11照手姫の水汲み井戸

説教節や浄瑠璃の「小栗判官 照手姫」の伝説で知られ、青墓宿に売られてきた照手姫が主人から無理難題の苦役を強いられ、かごで水汲みをしたと伝えられる井戸の跡です。平成3年に小栗判官ゆかりの地が大垣に集り小栗サミットが行われました。

歴史民俗資料館

マップ12歴史民俗資料館

西美濃33霊場33番札所である美濃国分寺に隣接して歴史民俗資料館があり、国分寺造営当時の資料や、この地域で使われていた農具など民俗資料や、付近の遊塚、昼飯大塚、花岡山古墳などから出土した埋蔵文化財が保存・展示されています。また、資料館南の田園には、昔、東山道を通行する旅人の金品を奪っていたという盗賊・熊坂長範の馬かくし場もあります。悠々の時を超えて、これらの遺物や言い伝えから貴重な歴史体験が得られることでしょう。

美濃国分寺跡

マップ13美濃国分寺跡

国分寺は、聖武天皇が天平13年(741)全国68箇所に勅願して建立されたものです。地方政治の祭政一致をねらったものであり、国府が政治を、国分寺が精神面を担ったといわれます。寺域全体が残っているは美濃国分寺が唯一であり、全国的に誇れる文化遺産です。

子安神社

子安神社

子安神社は創祀不詳でありますが、往古より安産の神として人々に親しまれています。大垣藩地方雑記に「将軍家綱公寛永18(1641)年8月誕生の時、戸田氏鉄公社内の竹にて産刀を造り献上されたところ、霊験あらたかで安産かりし」とあります。境内には「子授け跨ぎ石」があり、夫婦でその意思を跨ぐと子宝に恵まれるといいます。

源朝長の墓

源朝長の墓

平治の乱に敗れた源氏の大将義朝ら8人は、平治元年(1159)12月27日に京都から逃れ、美濃源氏の拠点である青墓宿にたどりついた。
次男朝長は、比叡山の僧兵に襲われたときの足傷がもとで、16歳の若い命をこの地で閉じ、ここに葬られた。
後に鎌倉幕府を開いた三男頼朝は、建久3年(1192)にこの地を訪れている。

円興寺

円興寺

延暦9年(790年)に創建された古刹で、当時は七堂伽藍を備え大いに繁栄しましたが、幾度となく焼失し、万治元年(1658年)に現在地に移ったとされています。境内には樹齢300年をこえる大クスノキがあり、秋には、本堂に向かう石段から北側を眺めると、モミジの赤、イチョウの黄、クスノキの緑の対比が美しく、紅葉景勝地として飛騨・美濃紅葉33選にも選ばれています。

金生山明星輪寺

金生山明星輪寺

明星輪寺は真言宗の寺院です。通称「赤坂虚空蔵(あかさかこくぞう)」、「虚空蔵(こくぞう)」、「こくぞうさん」。日本三大虚空蔵の一つといわれています。縁結びや安産祈願等のお守りを販売しています。

源氏ほたるの里(杭瀬川のホタル)

源氏ほたるの里(杭瀬川のホタル)

初夏の風物詩として有名な杭瀬川のホタル。杭瀬川に生息するホタルはゲンジボタルで市の天然記念物の指定を受けています。ホタルが乱舞するその光景は感動的です。

赤坂スポーツ公園

赤坂スポーツ公園

東海地方最大級のフジ棚
多目的グラウンド、児童遊具などを備えたスポーツ公園。公園内には、東海地方最大級である3品種215本のフジ棚があり、5月上旬には多彩なフジが観賞できます。

養老鉄道東赤坂駅

養老鉄道東赤坂駅

中山道沿いに位置する養老鉄道養老線の駅

美濃国分寺

美濃国分寺

天平13年(741)聖武天皇の勅願により創建。後に火災で全焼したが、元和元年(1615)に再興。ご本尊は「薬師如来座像」(304.8cm)、別名「馬だらい薬師」。久しく土中にあって、それとも知らず背中のくぼみで馬の足を洗ったりしていたことからその名を残す。一木彫成の木造薬師如来像として日本一の大仏さまである。国指定重要文化財。

石引神社

石引神社

創建年代は不詳。寛永10年(1633)、京都に上る三代将軍徳川家光を迎え入れるため、大垣城主の松平定綱は城の大規模な築造工事を行った。石垣には、金生山の石灰岩が切り出され、杭瀬川や水門川を伝って舟で運ばれた。それ以来、石引の名で呼ばれるようになった。

勝山

勝山

岡山は海抜53メートルの丘陵で、慶長5年(1600)の関ケ原合戦のとき、東軍の総大将徳川家康の本陣が構えられたところです。天下分け目の大合戦に勝利を得た家康は、ここを徳川ゆかりの地と記念して、岡山の名を勝山に改めたと伝えられています。

天清院呑龍閣

天清院呑龍閣

天清院呑龍閣には、子育て祈願、安産祈願に多くの方がお参りに来られます。
毎年、4月上旬にどんりゅうまつりが多くの参拝者でにぎわいます。